桜人 −サクラビト−





貴方と初めて桜を見たのは、出逢ってから半年も経った時だった。




満開の時期を迎え、強い風が巻き起こると淡いピンク色の花びらがいくつも舞い飛ぶ。
若草色の草が生い茂る地面には風と別れを告げ下へと落ちた花びらの数々。
やがて時間が経てばそこは花の絨毯へと変わるのだろう。
まだ若い木々は自らの生命力を誇るように無数の花を咲かしている。
その中でたった一本、長い年月を超えてきたのだと一目で分かる老木の桜があった。
周りとは一回りも大きく、それ故に全てに栄養を行き渡らせる事が出来ないのか不釣合いな細く弱々しい部分があった。
けれどそれでもその老木は他と一線を画す、幽艶な美しさだった。
その老木の前に一人、怖い位に周りと同化している者が立っていた。
その背には、純白の翼。
真っ白な衣を纏った姿は、周りの桜と相俟って幻想的な世界を造り出していた。
誰かが見たら、きっとぞっとするような思いを抱く事だろう。
それ程までに現実とかけ離れた景色なのだ。
雪白の手がゆっくりと老木の幹を撫でる。
手の動きに同調する様に、ゆっくりとゆっくりと昔の記憶を手繰り寄せた。




 「エンジェル・・・」
当時の彼は、暖かく包み込む様な声でそう呼んでくれていた。
理由は単純。この身につけられた「名前」が嫌いだからと言ったからだ。
ほんの少し考える素振りをしてから、じゃあエンジェルに決まりだな、と彼は言った。
言われた時はびっくりした。
だって彼はもう二十歳を過ぎた大人だったから。
だから、恥ずかしくないの?と聞いたら、ぴったりだろ、と彼は少年の様に笑っていた。
そんな彼がたまらなく愛おしい存在に思えた。


 「エンジェル。今日は桜を見に行かないか?」
いつもの様に窓から彼の家に訪れると、突然そんな事を言われた。
聞いてきた割にはもう出掛ける準備をしている辺り、行く気満々なのだろう。
 「どうしたの、急に?」
 「すっと家に篭っているのもどうかと思ってな。今はちょうど桜の時期だし気分転換にもいいだろう?」
 「そうだけど・・・意外」
まだ納得がいかないというような顔をして首を傾げていたら、彼は笑いながらキスをする。
何だか丸め込まれた気がしてムッとすると今度は宥める様に微笑まれる。
 「可愛いな」
そうして言われた言葉に頬が赤らむのが分かる。
差し伸ばされた手に、自分は吸い込まれる様に手を重ねていた。


着いた桜の木々は、歩いてすぐの所にある場所だった。
いつも来る時に空から眺めていたが、近くで眺めるのとでは別段の代物だった。
 「綺麗・・・」
優美な桜に酔いしれる様に思わず呟いていた。
後ろでは彼は持って来ていたキャンバスを専用の台に乗せスケッチを描き始めている。
結局絵を描くのなら気分転換にならないのではと思ったのだが、黙っている事にする。
水をすくう様な形で手を広げていると、ちょうどそこに何枚かの花びらが舞い落ちてきた。
嬉しくなってはにかむ様に笑む。
手を動かして、掌に落ちた花びらがゆっくりと下へ落ちていくのを眺めた後は、一本の大きな桜の幹に寄り掛かる。
熱心に絵を描き続けている彼を夢見心地で眺めていた。
あの手が、夜になると繊細に、時には荒々しくこの身体を抱くのかと考えると体が火照るようだった。
凍りついた心を暖かく溶かしてくれた、彼の全てが好きだった。
 「―― ・・・」
愛おしそうに、彼の名を呟く。
小さな囁きにも等しい声が聴こえたのか、彼がふとこちらへと視線を移す。
走り寄ればすぐにでも手が届く距離なのに、時々こんなにも遠い距離に感じるのは何故だろうか。
住む世界の違いすぎる二人。
だからこそ余計に惹かれあうのかもしれない。
けれど無上の幸せを感じるには、許された時間は残酷なものだった。
泣きそうな顔でもしていたのか。
彼は筆を置いて、こっちへ来るように手招きをした。
それを見てすぐに、まるで子供の様に駆け寄って縋り付く。
大きな手が一度頭を撫でた。
 「お前は怖い位に桜が似合うな。人々を感嘆させる存在なのに、反面とても儚くて・・・」
そう言ってから彼はじっとこちらの蒼い瞳を見つめた。
 「けれど、気高く、美しく咲く花だ・・・」
彼は、桜の絵を完成させる為にここへ来る度に、笑いながらこの台詞を何度も言っていた。
言われる度に、そんな事はないのにと思っていた。
本当に儚いのは、桜が似合うのは、貴方。
余りにも短すぎる貴方の命の灯火。
許されない事だと知っていても、自分には彼の命の炎を永らえさせる事が出来た。
ずっと傍に居たかったから。
初めてこの身の全てを捧げたいと思えた人だから。
でも。
長く生きられると聞いても、貴方は険しい顔をして諌めた。
そんな事をする必要はないと。
貴方の意思に反して力を行使して、そのせいで貴方に嫌われたくはなかった。
僕は唯、見守る事しか出来なかった。
そして、出逢ってから二度目の春が過ぎた頃、貴方は旅立ってしまった。
たった一つの約束を残して・・・。




気がつくと、老木の前でしゃがみ込んでいた。
あれから、随分と時が経っていた。
二人で見た桜はもう、この目の前の老木だけになってしまった。
自分がどうしてまだ生きていられるのか、たまに分からなくなる。
ふと、その時。懐かしい人の気配がした。
急いで振り返った先に、彼がいた。
 「エンジェル・・・」
直接声を聞くのは余りにも久しぶりすぎて、それだけで胸が締め付けられそうになる。
涙が溢れ嗚咽が漏れそうになる自分に、彼は優しく微笑んで手を差し伸べていた。
答えるように震える手をゆっくりと伸ばして彼の手を掴もうとした瞬間、桜吹雪が起こった。
淡い花びらが、彼の姿を隠してしまう。
 「待って!!」
そう叫ぶが、届かない。
花びらと共に彼の姿が彼方へ消えてしまった。
桜が見せた幻だったのか。
それとも記憶が作り出した虚像だったのか。それは分からない。
どちらにせよ、身が裂けそうな哀しさは何も変わらない。
 「行か、ないで・・・・・・っ!」
止め処なく流れる涙を拭う事も出来ず、自分の身体を抱き締めるようにしてその場に崩れ落ちた。




絶望にくれる天使の元に一人の女性が舞い降りた。
金色の髪をなびかせ、天使の方へと歩み寄った。
 「こんな所に居たの・・・?」
哀しそうな、心配そうな声。
けれど、天使はぴくりとも反応をしない。
不安になって女はそっと天使の腕を掴む。
相変わらず簡単に折れてしまいそうな細い腕はどきりとする程冷たい。
腕だけではない。身体全体が冷え切っていた。
それだけで天使がどれ程長い間ここにいたのかが分かる。
自分の力で起き上がろうとする意思がないので、女は一人で天使の体重を支え起こす。
気を失っているのかその両の瞳はきつく閉じられている。
 「クリシュナ・・・あれからどれ位の年月が経ったというのか・・・。
  貴方はまだ、少しも傷が癒えてないの?」
目尻や頬に残った涙の跡から女は天使がずっと泣いていた事を察す。
その跡を拭いながら、天使の嫌う「名前」をあえて使って話し掛けた。
もしかしたらこれにも反応しないかもしれないと心配したが杞憂に終わる。
下ろした瞼からゆっくりと美しい蒼の瞳が現れた。
しかしいつも強い意志を宿す蒼の瞳には、全く生気が感じられなかった。
まるで本物の蒼玉が嵌め込まれている様だった。
 「死にたい・・・」
再び涙を溢れさせながら呟かれた声。
抑揚はなくても、その願うような声に女ははっとなる。
それは、許されない事だというのは天使自身よく分かっていた。
それでも願わずにはいられなかった。
 「クリシュナ・・・」
こんなにもぼろぼろに傷ついた天使を、女は哀れまずにはいられなかった。
誰よりも気高く、美しく輝く事の出来る存在だというのに。
もう、限界なのかもしれない。
この天使には生きる事自体が拷問なのかもしれない。
 「還りましょう・・・」
ここにいては本当に壊れてしまうと考えた女は、天使の細い身体をそっと抱き締めながらその場から消えていった。
誰もいなくなったそこに、強い風が吹く。
風に耐え切れずに桜の木から離された花びらと、既に地に落ちている花びらが宙に舞った。




約束だ。
どんな手段を使おうとも、いつか必ず会いに行くよ・・・――――





もしかして、私は自分の首を絞めるのが得意なのかもしれません。
執筆時間が短いというのにこの長さって一体・・・。
もう少し短くしようよ、自分。

内容の方にいきましょうか。
何か結構安直なタイトルのような気がしますが、響きが好きです。
本文の方は本当に何というか。とにかくいっぱいいっぱいです。
いや、でも、これは一種のラブラブな話だと思うのですが・・・。
天使が彼に恥ずかしくないのと聞いてる場面では、こっちが恥ずかしいんじゃー!と 書いてる本人が叫びたくなりました;;

こういう感じの方が自分の得意分野のような気がします。










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